第05回 松戸の思い出(3)山口国男
練習地が松戸でありながら、自分を含めた東京(下町)の選手は地元といえない歯がゆさがあった。
東京都(関東競技会)と千葉県(南関東競技会)の違い等。
そのためか現役時代、京王閣・立川が年に二回くらい出走があったのに対し、松戸での出走回数は年に1回ぐらいだった。
松戸のあっせんが来たときは、自分自身特に気合が入っていたS級時代であったが、なぜか優勝はなかった。S級からA級に降格したときに初めて松戸で優勝した。
また、兄弟で(四男・健治)の松戸に参加したことは、2回ぐらいあったが、A級戦で兄・国男、S級戦で四男・健治のあっせんがあって(S級時代は無)兄弟制覇を試みたが、一度目は兄・国男がA級で優勝したが、四男・健治はS級で優勝できなかった。
二度目は、兄・国男が顔から落車しバンソコだらけの顔になってしまい、四男・健治にレースの前に「闘志がなくなるから帰ってくれ」と言われレースを見ないで帰ってきた思い出が残っている